タイ骨董日記

タイ、ベトナム、東南アジア初期のヒンドゥー美術、仏教美術、お守り・プラクルアン情報。東南アジア在住。 (C) 2006-2026 タイ骨董日記

ナムディン省博物館(現ニンビン省)

ホアルー(ニンビン省)滞在後に列車でナムディンに来ました。以前よりベトナム北部への旅の目的の1つに紅河デルタと呼ばれるハノイ周辺の経済都市を回ることを念頭にしてました。ハノイ市、ハイフォン市、今回はニンビンと次に目指したのがナムディン市です。昨年ナムディン省は省統合されニンビン省なりました。ナムディンは海までも遠くないので今回は海と博物館を見にきました。このナムディン省博物館(現ニンビン省博物館)ですが期待していた以上に素晴らしい博物館だったので記事にします。

まずは先史時代の土器、石器、鉄器からはじまります。

土器です。

その次の大部屋からが有史時代なのですが、ここに驚かされる展示品がありました。

ここに一点のみナムディン省で発見された唐様式(9世紀)と記載された仏像(石製)がありました。北部ベトナムでこのような古い時代のものが拝めるとは思いませんでした。素晴らしい像でおそらくですがアンコール・ボレイ様式(プレアンコール期 7〜8世紀)のものではないかと思います。いいものを見せてもらいました。

次は11〜13世紀頃(李朝時代)のコーナーです。

まずは中央の大型の石仏(李朝時代、12世紀)です。ベトナムの国宝です。

お顔はタイ北部の同時期頃のハリプンチャイ期の仏像とも共通するものがあります。

台座の蓮の葉部分には龍の細かく彫られています。

同時代のテラコッタ製の彫刻品

こちらも同時代(12世紀)のもので国宝です。

クメール様式のアプサラにも似ていますが顔は異なります。おそらく同時期頃のチャンパ美術の影響を受けていると思います。

次は陳朝(13世紀〜14世紀)のコーナーです。

この龍の彫刻の扉(木製)も同時代13世紀のものです。

踊り子の木製彫刻 13世紀〜14世紀です。

同時期の皿です。

次はレ・ロイ朝(15世紀〜16世紀)の部屋です。

この龍の壺、カッコいいですね。14〜15世紀

16世紀

17世紀後半〜18世紀。木製彫刻。同時のタイ、ビルマにも共通する美術ですね。

大きな博物館で3階建てです。展示品も多く本当に素晴らしい博物館です。ベトナム北部ではハノイの国立歴史博物館(改装中)に次ぐレベルでおすすめです。

夕方のナムディン中心部のヴィスエン湖周りの公園です。

ナムディンは牛肉フォーの発祥の地です。

別の日仁ナムディン市内から40キロほど離れた海岸沿いにバイクで行ってみました。そこに古びた教会跡(観光スポット)がありその周りにシーフードレストランが集まっています。

なかなか雰囲気のいいところでした。

2026年上半期は記事はこれで終わりです。

ホー王朝の城塞(タインホア省)

先週、ベトナム北部に行ってきました。今回の目的は世界遺産の胡朝の城塞(ホー王朝の城塞)に行くことです。14世紀末に完成した石造りの城塞です。まずはハノイ市内からバスでホアルー(ニンビン省)に移動し、ホアルー市内のホテルでバイクを借りて翌朝約60キロほどの胡朝の城塞(タインホア省)に向けて出発しました。下はホアルー市内からの写真です。

道は広く走りやすかったですが、結構トラックが多かったです。

街を出てしばらくすると平和な田舎道にはいります。

着きました。前のゲートでチケットを買いバイクまま入ります。

正面が南門です。

城塞の向こう側に北門が見えます。

 

南門を内側から撮りました。

地図です。あとは壁に沿って小道があるので時計の反対回りでぐるっと一回りします。東門からは中を入り北門に向かいました。

南門から東門までの道

東門です。

ここから中に入ります。

内部の道は地元の住民が普通に使っています。

内部にはハスの花の池があります。

城塞の中心部から南門を撮影した写真です。

ここに龍の石造彫刻があります。少ない見どころの1つです。

下は頭部分ですが、博物館に展示されています。

上の龍を見終わったら北門から再度外壁を逆時計回りします。

西門の外側です。この付近は旧市街があったようです。

古い家です。100年ぐらい前のものだと思います。

管理人がどこかに行っており外から撮影しただけです。

その後、西門からスタート地点の南門まで外壁を伝って戻り、最後に博物館を見学しました。

下が胡朝の城塞の見どころです。

内部にはこの城塞で出土した14世紀〜15世紀の遺物が展示されています。下はテラコッタ製ね鳳凰頭部です。

下は城塞中心部にあった龍石造の頭部分です。

夜はライトアップされるのかもしれません。

この城塞を作ったホー王朝時代(胡朝 1400年 - 1407年)の王(ホー・クイ・リー)の絵です。

早朝、ホアルーを出発する前に食べたBún Mọc(ブンモック)です。

その後、ホアルーに戻りニンビン博物館に行きました。翌日はホアルー市内を少し回ったので写真を掲載しておきます。ホアルー周辺は世界遺産の街で自然や豪華なお寺等、多くの観光スポットはありますが、私が唯一おすすめできるのが下のビックドン寺(Bich Dong Pagoda)です。

階段で登っていきます。

中腹の洞窟前の寺院,左側が洞窟入り口です。

洞窟を出たところです。

ここからまた上がっていきます。

見学出来る一番上の祠です。

また下って行きます。

その翌朝、列車でニンビン駅から次の目的地ナムディンに移動しました。またいつか続きを書きます。

コンバウン王朝期の青銅仏

何十年も前(西暦2000年以前)ミャンマーとの国境があるタイ最北の町メーサイ(チェンラーイ県)にミャンマー、シャン州からかなりの数の青銅仏、木製仏、仏陀ストーリーシリーズ等がタイ側に入って来ました。タイ北部に住むタイ人はそれらはほぼ何でもシャン又はタイヤイの仏像と呼び、それよりも新しいものはマンダレーのものと呼んでいました。ミャンマーのシャン州にはタイヤイ族やタイルー族が住んでおりタイ北部のタイ人にとって彼らは同じランナー文化圏の民族です。だからかもしれませんが彼らはミャンマーからきた仏像をシャンの仏陀と呼び、その美術をシャン美術と言います。しかしタイの仏像同様、ミャンマーの仏像も時代名を入れて呼ぶべきなので、シャン様式の仏像はコンバウ王朝時代(18世紀後半〜19世紀)の仏像と呼ぶのが正しいと思います。また当然ですがシャン州以外でも作られています。

この3点はミャンマーとの国境があるメーソート(タイ中北部ターク県)からタイ側に持ち込まれたコンバウ王朝時代の小型の青銅仏(仏陀ストーリーシリーズ)です。

おそらくパゴタ内部に奉納されていたものです。通常これら小型の仏陀ストーリーシリーズの台座部分は薄く、またライフツリーと呼ばれる頭部先端部は細く壊れやすいので発掘時(又はパゴタ倒壊時)に既に破損してていたりします。まあこれは仕方ないと思います。この3点も台座は破損したり曲がっていますが仏像部分は破損はなく残っていたので購入しました。眺めたり、ルーペで青銅の材質感をみたり勉強出来ます。展示方法は悩むところですが、今のところランナーの古布の上に寝かしておいています。

タイ国境メーソートのミャンマー側はミャワディですがそこはカレン州です。そこからモーラミャインに行けますがそこはモン州です。ミャワディからシャン州は離れているので、この3点はおそらくカレン州かモン州辺りにあったパゴタに奉納されていたものではないかと推測しています。

チャンパーサック王国の遺産(その12)

ラオス南部サラワンの洞窟で見つかったワーン製の塼仏(上半身残欠)です。奥行きのある立体的な造りの塼仏で顔はでラーンサーン様式です。ひび割れや朱色のチャートがリアルでクラシック感があります

おそらく菩薩だと思いますがヒンドゥー神のような雰囲気もあります。チャンパ美術かカンボジア美術の影響を受けているからかもしれません。年代的にはラーンサーン末期 18世紀ごろのものだと思います。ケース入れ完了しました。

<追記>こちらも同じサラワン県の洞窟から見つかったワーン製の塼仏片(頭部残欠)です。材質感がよく似ています。

ランナー木製仏(ナーン様式)

久しぶりにランナー木製仏を入手しました。最初、このランナー木製仏を見た時にどこかで見たことがある木製仏だなあと思いながら、顔が特に気に入り交渉し手に入れました。その後少しして、この仏像がかなり以前から知っている(寺院の展示室に展示されている)木製仏に似ていたことに気づきました。

下の写真はチェンラーイ市内中心部のワット プラケーオ チェンラーイ寺院の敷地内にある展示室(宝物館)2階で撮影したものです。この宝物館には仏像がかなり展示されているのですが、写真下の棚にはランナー様式の木製仏だけが集められています。その中央の大型の木製仏です。修理は少しされていますが素晴らしい木製仏でいつもここに来る度にいいなあと思いながら眺めていました。

写真下はこの棚の下部分の写真です。こちらも結構大型のものでタイルー様式だと思います。

写真下からは棚中央の木製仏と入手した木製仏の写真を並べて比較してみたものです。頭部だけでなく体型や全体のバランスもよく似ていることが分かります。

斜めからの比較です。両者の大きさははまったく異なりますが比較すると造り、スタイルもよく似ています。

頭部、表情。眉、耳、頭部の輪郭等の比較

横顔、輪郭、耳の比較

<追加>背面の比較

入手したランナー木製仏はナーン市内中心部からきたものでランナー期ナーン様式と呼ばれるものだと思います。ナーン県とチェンラーイ県の間にはパヤオ県がありますが3県ともラオスに接しています。比較した結果、両者の美術様式がかなり近く、もともとは同工房で作られたものか、又は同仏師作の可能性もあると思います。しかしそれ以上のことは分かりません。年代は19世紀頃のものと思います。

招き女人像 ナーンクアック(木製)

古い木製の招き女人像(ナーンクアック)を手に入れました。とてもかわいいです。

材質の木は完全に乾いているようでとても軽いです。でもしっかりとしています。使用木材がきめ細かいような気がします。下は写真屋(スタジオ)で撮影した写真です。

下の写真は脇下から腰の部分のアップです。少しピンク色がかった白い粉のような物がこびり付いています。

次は後ろ側の凹部分(脇下から腰部)のアップです。こちらも同様の状態です。このお守りはクルアンラーンを専門にするお守り仲介人から購入したのですが、彼によるとこの白い物は石灰だろうとのこと。昔、噛みタバコ(ビンロウの実)をする際に使用する石灰ペーストなどが入った容器に(おそらく御利益を得る為に)このナーンクアック像が入れられていたのではないかとのことです。石灰の少し赤みがかった色はビンロウの実の色から来たもののようです。

お守り表面を見てもこのお守りが使われてこられたことが分かります。また注目すべきはこのナーンクアックの後ろ姿がパラキック(男根型のお守り)のように見える点です。

このような特徴的な形状のナーンクアックはパラキックのお守りで有名な高僧トップ5の1人、ルアンポー・ルア(仏暦2405-2488年、ワット サーオ チャゴーク寺院)作のものとのことです。もし高僧のものだとすると80〜90年前のものになります。確かにそれぐらいの古さはありそうです。高僧が発行のものかどうかの真偽は分かりませんがこのナーンクアックが実際に使われてきた古いものということは確かなので購入してみました。写真のように合うケースが見つかり保管も完璧です。ご利益がありますように!

パヤオの大仏 プラチャオ・トンルアンの古い写真(その4)

2026年5月25日更新(写真追加)

最近、収集ているプラチャオ・トンルアン(パヤオ県シーコームカム寺院)の古い写真を手に入れました。今回初めて見る写真で、おそらくパヤオ県内のお守りコレクターでもこの写真を見たことがある方はほとんどいないと思います。なんとか入手出来ました。

見ての通りかなりすごい状態ですが、この写真の素晴らしいところは写真を撮った日にちが分かることです。大仏を覆う衣にタイ語で寄進を行なわれた方の名前と日付仏暦2502年3月15日(西暦では1959年)と書かれています。

このように写真を撮った年月日が確認出来る写真は貴重ですがほとんどありません。今までにこの写真以外に1枚だけ写真を撮った年月日が分かる写真があります。それが下の有名な写真です。仏暦2501年3月13日に前タイ国王(ラーマ9世)が王妃と共にシーコームカム寺院を参拝された時に撮影された写真です。

以前この写真について書いた記事を貼り付けておきます。https://thaikottou.hatenablog.com/entry/2019/04/12/174026

https://thaikottou.hatenablog.com/entry/2018/11/09/155159

今回入手したこの写真は上の写真から1年ほどしか経っておらず、大仏前の装飾もよく似ています。2つの写真を並べて比較してみました。

額もすごい状態ですが可能ならこのままでガラスを入れて修理してみようと思います。

<追記>2026年5月26日 さっそくフレームと内側の台紙はそのままで修理が完了しました。

塼仏の仏手(ドヴァーラヴァティー期)

2026年5月23日更新(写真追加)

2点とも数年前に入手したドヴァーラヴァティー様式の塼仏片です。 左側はタイ中部ロッブリー出土、右側はタイ東北部マハーサーラカーム県ナードゥン郡サラブア出土の塼仏片です。この2点と文献に掲載されているドヴァーラヴァティー期の青銅仏(スパンブリー県ウートン国立博物館蔵、8世紀後半〜9世紀半ば)と並べて写真を撮ってみました。

見てのとおり、同時代のもので仏手の美術様式もそっくりです。素晴らしい比較です。ちなみに右側の塼仏(上半身残欠)は今は無きバーミヤン遺跡の大仏を彷彿させる風合いです。

<追記>2026年5月23日 右側の塼仏残欠はおそらく文献に掲載しれている下の型の残欠だと思います。

並べて比較してみました。

タイ北部 ランナー期 お守り布

久しぶりにタイ北部、ランナー王朝期のお守り布(タイ語:パーヤン・ボラーン・ランナー)を入手しました。クルアンラーンと呼ばれるお守り(プラクルアン)の一種です。下の山羊と性交する構図で人気向上の意味があります。通常は山羊ではなく馬なので珍しい構図です。女性はランナー期の衣装パーシン(巻きスカート)を履いています。

次はこのお守り布中央に描かれているタイ北部のクンペーンとも言われているパヤーカオカムと両脇には2人の妻が描かれており、これらは繁栄や人気運向上の意味があります。

次に上も有名な構図「虎の乳を飲む牛」です。下は馬と性交する女人の図です。ともに人気運、魅力向上の意味があります。

お守り布全体像です。このお守り布はメーターマハーニヨムと言われる人気向上、魅力向上の為に作られた「繁栄」と「商売繁盛」などのご利益が期待できるお守りです。外周のランナー文字を含めてすべて墨で手書きされています。布はかなり柔らかくなっています。おそらく壁などに掛けられていたものではなく畳んで携帯されていたものだと思います。広げると縦横が45センチ前後です。

畳むとこのように折りたたんだハンカチほどのサイズになります。

私もいつもお守り布を財布に入れて携帯しています。以上

(続き)高僧ルアンプー・トー 初代お守り

写真屋(スタジオ)で撮影してきました。そして再度(他の方のコンテスト入賞品と)比較してみました。今回の比較対象は2023年に開催された雑誌プラタープラチャン主催の仏像コンテストの同型部門の1位(右側)です。左側は入手したものです。1点ずつ作られたこのポン製のお守りは型押し工程後に型の上下左右の余分な部分(ミミ)をカットしますが、下の比較は極端な例です。左側はミミ部分が広く、右側は型ギリギリにカットされています。

左側は割れや欠けはありますが表面の摩耗は少なく、コンテスト入賞品(右側)と比べても状態はいいと思います。しかし比較対象のコンテスト1位入賞品の頭部分は線が鋭く残っており、かなり状態が良いものだと分かります。雑誌プラタープラチャン主催の仏像コンテストは現在年に1度開催されており、1年にタイ全国で開催されるすべてのコンテストの中でも最も大きな大会の1つです。この大会で入賞することでお守りの格(価格)も上がる為、プロ、アマのコレクターが競うレベルの高い大会になります。よってこの大会には状態の良いプラクルアンが集まります。

左側はコンテスト入賞品(右側)の状態には当然かないませんが、左側も線が鋭く残っています。過去に何かの原因で破損してしまったようですが、状態の良いものだったことが分かります。実はこの入手した左側のものはつい最近までプラスチックケースに入れられていたものです。下はプラスチックケースに入れられていた時の状態です。現在ではないレトロなプラスチックケースで50年前後前に入れられたとのことです。お守りの頭部付近には覗き穴があり、下部にも小さな穴があり密封されたケースではありません。

そのため当然ですが、ケース内側はホコリやチリなどでお守り表面は覆われています。下はケースを開けた直後の状態です。

ケースを開けた内側の状態です。

裏面です。ケースに入れる50年前後前におそらく元オーナーによって補修がされたのだと思います。お守りは裏面はフラットではなく、指で型押しされた跡があります。証拠はありませんがルアンプー・トー自身の指で型押しされた跡かもしれません。

ホコリ、チリなど付着していますがこのプラスチックケースに入っていたおかげでお守り表面は外部との接触を防ぐことができたのだと思います。このプラスチックはこのお守りの歴史上、重要な遺品なので、お守りとセットで大事に保管していくつもりです。又、いつかタイミングが合えばお守りコンテストに出品しようと思います。

<追記>もう一点比較してみました。比較対象はタイ仏像・お守り協会で特集されているルアンプー・トーの初代チェーナムモン13型の中の同型(右側)の写真を使わせてもらいました。かなり状態の良いものです。

状態は異なりますが型は完全に一致しています。

以上