タイ骨董日記

私、自称仏像コレクターよる東南アジア初期のヒンドゥー・仏教美術、タイのお守りプラクルアン情報。SINCE Feb2006 (C) 2006 タイ骨董日記

チャンパーサック王国の遺産(その4)

チャンパーサックのワーン製の出土仏もう少し続きます。こちらは(その2)で記事にした出土仏と同じ出土地(ラオスに隣接するタイ側の県、ウボンラーチャターニー県)のものです。この型もラーンサーン様式ですがアユタヤ美術の影響を強く受けています。タイ中部スパンブリー県出土のプラ・クンペーンのようです。

乾燥による自然なひびが入っていますが、美しい型です。

裏側にはひびはなく、硬くしっかりした材質です。

下の写真でだいたいのサイズが分かると思います。ぎりぎりお守り(プラクルアン)サイズですがかなり大きめの型です。この写真では表情が残っていることが分かります。

下の2点も手に入れてました。2点ともワーン製で同出土地のものです。左が大型、右は中型です。この2点はラーンサーン美術(ラーンチャーン美術)の影響が濃いです。

上が大型、下が中型を撮影したものです。ワーンの材質とその乾燥で表面の状態がいい感じになっています。

いずれも年代的に17世紀末から18世紀頃、ラーンサーン王朝末期からチャンパーサック王朝にかけてのものだと思います。青銅仏(ブロンズ製)や木製仏と比べて数が少なく貴重なものです。ちょうど合うサイズのお守りケースに入れて携帯出来ればと思っています。

 

チャンパーサック王国の遺産(その3)

タイ正月は終わりましたが、以前から手放すことがあれば連絡をしてほしいとお願いしていた知り合いのコレクションをタイ正月の初日についに譲ってもらいました。ありがたいことです。ラーチャーン様式の塼仏(ワーン製)でタイ国境に近いラオス側(チャンパーサック県)で出土したものです。

ラーンチャーン様式の耳の形状やどう見ても長すぎる腕など非常に味のある庶民仏(フォークアート)です。状態が良く、本の表紙写真になっていいぐらいです。少し大きいのでケースに入れてカバンに入れて携帯出来ればと思っています。顔の表情や頭部の形状などアユタヤ後期の美術の影響を受けています。年代的にはラーンサーン王朝末期17世紀末〜18世紀ごろのものだと思います。

 

青銅の仏手

結構いいサイズの仏手(青銅製)を入手しました。ただの青銅製仏手ではありません。縄のようなものが巻きついている、今まで見たことない手です。最初は数珠を掴んでいるのかと思いました。しかし画像では数珠とは違うようです。縄のような部分もそうですが指先には爪がありかなり繊細な造りです。タイで出土したものですが、ホーチミン市の歴史博物館に行った時に少し手がかりを探してみました。(下に文の続きを書きます)

ここからは博物館で撮った写真です。まず一点目はチャンパ初期の青銅像です。左手に数珠をもっています。

次もチャンパ初期のものです。こちらは右手に数珠を持っています。

次は扶南時代の石像です。こちらも数珠をもっています。

これら3点はすべて観音菩薩像です。いずれもベトナムの国宝に指定されています。次の2点は仏陀像(共に国宝)です。まずは青銅製、チャンパ初期のものです。

左手で羽織っている衣を掴んでいます。

次はメコンデルタ出土の木製の仏陀像です。こちらも左手に羽織っている衣を掴んでいますようですが紐(ヒモ)のようにも見えます。

今回、博物館で見たなかの5点をピックアップしてみましたがいずれも青銅の手の縄のようなものとは異なっています。しかし最後の一点はまだ少し可能性はあるような気がしました。仏陀の手か、それとも菩薩の手か?まだ分かりません。また何か手がかりが見つかり次第、更新したいと思います。

チャンパーサック王国の遺産(その2)

入手したもう1点です。こちらはタイ側ウボンラーチャターニー県で出土したものです。美術的にラーンサーン美術(タイ語ではラーンチャーン美術)でラーンサーン王朝末期かチャンパーサック王国時代初めごろのものだと思います。年代的にはアユタヤ王朝末期ごろ(18世紀ごろ)のものだと思います。型押し後の型のミミが残ったままの状態で、お守りサイズより大きくになっています。素材的にも非常にクラシックなお守りです。

(個人的な意見ですが、)ひび割れ感が素晴らしいです。

裏面もとてもいい感じです。

側面からも美しいです。さすが本物の美術です。

ラオスにまた行きたくなりました。以上です。

 

チャンパーサック王国の遺産

ラオス南部チャンパーサック県の古い寺院跡の壁に貼りついていたワーン製の仏像です。表情が良く、最初に見た時にすぐに欲しくなりました。写真1枚目は日中外で、写真2枚目は暗所で外光にかざして撮ったものです。

見ての通りいい顔をしています。微かに塗金も残っています。裏面には壁から剥がした際の跡(木目)が残っています。裏だけを見ても古いものの良さを感じます。でも価格面もあり(買われてしまう可能性もありましたが)少しだけ我慢してみました。

しかし、すぐに以下のことに気づき、結局、即購入しました。その理由がこの下の写真です。最初見た時からこの仏像の顔はラーンサーン王朝(美術)の影響を受けていることは分かりましたが、ラオス北部や中部とは少し異なる雰囲気を感じていました。その後、この仏像の顔がパクセー市内のワット・ルアン寺院の本尊の顔立ちに近いことに気づくまでそう時間はかかりませんでした。パクセーは南ラオス1の都市でチャンパーサック県にあります。カンボジア国境にも近いエリアで現在までカンボジア美術の影響も少なからず受けています。世界遺産のワットプー遺跡も県内にあります。このルアン寺の本尊も年代的にはカンボジアのポストバイヨンからポストアンコール期に作られたものではないかと思います。

入手した仏像とルアン寺の本尊の顔を並べて比較してみました。目や眉の形状、口や丸い顔の輪郭もよく似ています。

年代的には断定出来ませんが、ラーンサーン王朝末期かその少し後のチャンパーサック王国時代、18世紀後期か、または19世紀初めごろのものではないかと思います。これからしばらくまたいろいろと勉強出来そうです。

 

 

ラーンサーン銀製仏(タイ東北部出土)

ラーンサーン(ラーンチャーン)様式のお守りサイズの銀製仏を入手しました。タイ東北部出土のものです。

ソリッドの銀製で小さいですが少し重みがあります。

の型に近い同様式の銀製仏が数年前にタイ東北部のウボンで出しおり、おそらくはウボン又はその周辺の県から出土したものではないかと思います。この銀製仏はそれよりもかなり前に出土したもので既に銀製ケースに入れられております。表面が非常に味のある状態です。

奉納仏として作られたもので庶民仏に近く、美術様式というよりもスピリット(精神性)を感じます。年代的にはラーンサーン王朝末期 18世紀頃のものだと思います。アユタヤ美術後期(17〜18世紀)の影響も受けているようです。

ウボンで出土した銀製と青銅製のもの(共に右側)と並べて比較した写真を掲載しておきます。見ての通り美術様式がよく似ています。ウボン出土のものはその土地の有力者とコレクターのコレクションになっています。参考まで。

 

タイルー木製仏 お守りサイズ

タイ北部ランナー木製仏(タイルー様式)を入手しました。お守りサイズ、なかなかないサイズで貴重なものです。おそらくマイモンコンと呼ばれる神聖な木材で彫られたものだと思います。

年代は19世紀後半〜20世紀初めごろ。簡単に彫ったように見えますが美術様式が自然で素晴らしいものです。もう少しフィットするケースを見つけたいと思っています。

 

オケオ文化展示館(アンザン省)

先月、再度オケオ(アンザン省)に行ってきました。今回は1年半前(2022年8月)に行った際、閉まっていたオケオ文化展示館を無事見学しましたのでたくさん写真をアップしておきます。

下の写真3枚は今回最も見たかったものです。

周辺から出土した宝飾品、扶南コインや古代ビーズの展示もあります。

深緑色の古代ガラスは日本でも飛鳥時代に作られています。

オケオのバテ山とその麓のリンソン寺院です。ヴィシュヌ信仰が残っており、仏教寺院ですがヒンドゥー美術のヴィシュヌ神が祀られています。

アンザン省博物館に展示されているリンソン寺の古い写真(ヴィシュヌ神像)です。

周辺のオケオ遺跡跡も一部アップしておきます。

その後、キエンザン省のラチジャーまで移動してキエンザン省博物館も約5年ぶりに見学しました。内容はあまり変わっていませんでしたので以前の記事のリンクを貼り付けておきます。

https://thaikottou.hatenablog.com/entry/2019/06/22/003905

最後の写真はブンカー・キエンザンです。これを食べてがんばってカントーまで戻りました。この日はバイクで250キロほど走りました。以上

 

 

 

ハリプンチャイ期の菩薩頭部

最近使っているスマホの壁紙です。

20年以上前に入手したタイ北部ハリプンチャイ期(ランプーン県出土)のテラコッタ製頭部ですが昨年やっと専用の立派な台座を作りました。宝冠をつけており王族(貴族)かと思っていましたが、額に白毫に近いものがあるのでおそらく菩薩ではないかと最近タイの方から言われました。

台座を付ける前に撮った写真です。

下2枚の写真はランプーン市内のハリプンチャイ国立博物館に展示されている大型の頭部とその記述です。ほぼ同時期(11世紀頃)のものだと思います。

以上。毎度の自己満足記事でした。

 

ウートン中期〜アユタヤ初期とポストバイヨン期 青銅仏 比較

ウートン期の青銅仏は(初期、中期、末期の)3期に分類されますが中期と末期(アユタヤ初期)の違いはなかなか微妙な部分があるので、並べて比較してみました。

写真1、2枚目は文献に掲載されている坐像で1枚目はウートン中期(14〜15世紀)、2枚目はアユタヤ初期(15世紀)のものです。今回はこの2体の比較がいちばんの目的ですが、

A0F066D6-0E95-44D1-A71A-0134884006FD.jpeg50183FF2-5E13-41C3-85A9-D51E6F047EAD.jpeg557C0F61-52B4-469F-AB1E-7FA3D38CB56F.jpeg

かなり以前にカンボジアのポスト・バイヨン期(15〜16世紀)のものとして入手した自分のコレクション(写真3枚目)を含めたら3点を並べて比較してみました

カンボジアのポスト・バイヨン期(14〜16世紀)はタイのウートン期とほぼ同時期のもので美術様式もかなり近いものです。

ではまず最初に頭部の比較です。

6215886B-2881-4587-B891-843C6FC5AAFB.jpeg

右側のポスト・バイヨン期のものはバイヨン期からのクメール美術を引き継いでおり顔つきの違いはありますが、3点とも同系の美術に見えます。真ん中(アユタヤ初期)の頭部の形状は左側(ウートン中期)と比べて面長になってきています。しかしまだウートン様式(後期)の影響がよく残っています。右側のポスト・バイヨン期(15〜16世紀)のものも左側(ウートン中期)に比べ面長な形状になっています。

9C2706BF-789A-4E76-A6FF-11D38A6D8808.jpeg
次に全体のバランスですが、左(ウートン中期)の胸部は他に比べてフラット気味で座高が高く、膝幅は短めです。これは高い座高に合わせ全体のバランスを保つ為だと思います。中央のアユタヤ初期になると座高は(ウートン中期に比べて)短くなり、膝幅が広くなっています。右側のポスト・バイヨン期ものも真ん中(アユタヤ初期)の体型(バランス)に近いように見えます。この比較では右のポスト・バイヨンの立像の年代はアユタヤ初期15世紀以降のもので、当初の理解通り15〜16世紀で正しと思います。ウートン中期〜下期の立像を比較した以前の記事のリンクを貼り付けておきます。https://thaikottou.hatenablog.com/entry/2020/10/18/000613

またウートン後期〜末期(アユタヤ初期)の青銅仏頭部残欠について書いた記事はこちらです。参考まで。https://thaikottou.hatenablog.com/entry/2022/08/13/000909

The Sacred Sculpture of Thailand: The Alexander B. Griswold Collection, the Walters Art Gallery

The Sacred Sculpture of Thailand: The Alexander B. Griswold Collection, the Walters Art Gallery

  • 出版社/メーカー: Univ of Washington Pr
  • 発売日: 1997/12/01
  • メディア: ハードカバー